山脇房子先生ご命日
学園便り


11月19日は、初代校長山脇房子先生のご命日です。前日11月18日(土)、全校朝礼と墓参を行いました。
全校朝礼では、放送にて、学校長からのお話、中高生徒会からは墓参で報告する学園の活動の内容が在校生に伝えられました。


高校生

中学生

HR教室

全校朝礼での学校長の言葉を紹介します。
おはようございます。房子先生のご命日にあたり、お話をします。
5月の120周年記念式典での『黄金の釘を打て』という記念ビデオのなかで、印象に残った房子先生の言葉がありました。
「皆さんは卒業したら、総理大臣や外交官の奥さんになるかもしれません。その時には夫と五分と五分の立場にある奥さんにならなければなりません。それには知識を広めて、交際を広めて、お行儀も国際的なものを身につけなさい」
まだ女性の参政権もなく、良妻賢母の考えのもと女性は男性に従うべきと多くの人が考えていた時代、なんという先進的なお考えだろう、と思いました。100年の時を経て、みなさんが生きていく社会は男女関係なく自分の進みたい道を切り拓き、選べる時代となりました。先ほどの房子先生のことばを現代のみなさんへのメッセージに言い換えてみると、こんなふうになるのではないでしょうか。
「皆さんは卒業したら、国際的な舞台で仕事をしたり活躍したりするかもしれません。その時には世界の人々の幸せに貢献できるよう、努め励まなければなりません。それには知識を広めて、視野を広めて、マナーも品格も国際的なものを身につけなさい」
さて改めて、房子先生という女性に思いを馳せてみたいと思います。当時の社会の状況に鑑みれば、房子先生の様々な施策、例えば女性の地位向上を願う活動や日本初の洋装の制服の制定、政治の討論などを積極的に行う教育内容などはすべて画期的なものでした。しかし、新しいことを推進するためには、さぞご苦労も伴ったのだろうと想像するのです。お考えが先進的であればあるほど、理解されないこともあったのではないか、時には世間の風当たりが強くなったり、周りの批判を受けたりすることもあったのではないか。ゆるぎない信念や理想と、現実とのギャップに思い悩んだり、これでよいのかと葛藤したりしたことはなかったのだろうか、それらをどのように乗り越えられたのだろう。そのように思い、改めて資料を調べました。しかし、愚痴や弱音のことばは一つも残っていませんでした。撮影された数々の写真はすべて、静かなほほ笑みを浮かべていらっしゃいます。
房子先生はこんな言葉を遺しています。
「富士山は火山の一つであります。地下何千尺のところには炎が真っ赤に燃えているでしょうが、表面は非常におだやかに平和の姿をしています。私ども人間は感情の動物で、ややもすると感情に激し易い短所を持っていますが、実にこの山のように、腹が立って胸がいっぱいになっても静かにこれを抑える克己心を養いたいものであります。私どもは富士の姿を自分の心の姿として、徳を磨き、徳を積んでいきたいものであります」
この言葉を読むと、そうか、房子先生も時に感情が激して胸がいっぱいになることもおありだったのだ。しかしそれらを静かに抑え、富士の姿のようにありたいと鍛錬をなさっていたのだ、と感じることができます。そして悩み苦しみを乗り越え、理想に向かい努力を続けられた一人の女性の姿として、私たちに勇気を与えてくれるような気がします。
今日のご命日に、みなさんがそれぞれに房子先生を偲び、先生の志に想いを寄せる一日としていただけるよう願っています。
午後は、中高生徒会の生徒が在校生を代表して、靑山霊園へ墓参をし、学園の活動報告を行いました。





生徒たちの報告が始まると、曇天が一転、日差しが降り注ぎました。きっと房子先生に生徒たちの想いが届いたのでしょう。
房子先生、いつも在校生・教職員・卒業生を見守ってくださり、ありがとうございます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。