山脇学園中学校・高等学校 YAMAWAKI GAKUEN JUNIOR & SENIOR HIGH SCHOOL

山脇学園について

建学の精神

FOUNDING SPIRIT

FOUNDING SPIRIT

建学の精神

豊かな教養と⾼い品格を⾝につけ、⾃ら⾏動する⼥性の育成

本学のルーツは實脩⼥學校であり、この校名から分かるように、本学は実践躬⾏を旨とし、国際社会で伍していくことができる淑⼥の育成をめざしてきました。

初代校⻑⼭脇房⼦先⽣は、實脩⼥學校の設⽴にあたり、「社会の基礎は家庭にあり、家庭の基礎が主婦たる⼥⼦にあることはまた多⾔を要せざるところなり。されば健全なる社会・家庭を造らむと欲せば、先ず⼥⼦を教育せざるべからず」と⼥⼦教育の必要性を説いたうえで、「教育の本旨は新に⾛らず、旧に染まず、⽣徒をして知識と徳⾏とを併せせしめ、学術と実務を兼ね習わせ、わが⽇本国の婦⼈として恥ずかしからざる淑⼥たり、良妻賢⺟たる実を全うせしむるにあり。また、服装を質素にして、⼼を優美ならしめ、忍耐勤勉にして、処世に適切ならしめんことは、特に本校の意を⽤うる所なり」と教育の⽬的を述べています。

FOUNDING SPIRIT

建学の祖

⼭脇 ⽞

創⽴者⼭脇⽞先⽣は、明治政府の命を受けドイツに留学し、⻄洋医学を学んだ後、ベルリン⼤学・ハイデルベルク⼤学・ライプチヒ⼤学で法律・政治・国法(憲法)・国家学を学び、ドイツ政府から⽇本⼈初の「ドクトル」の称号を授与されました。帰朝後は、明治憲法・皇室典範の草案の起草に参画した後、⾏政裁判所⻑官を務め、近代⽇本の国家体制の整備と維持に⼤きな貢献を果たしました。学校教育においては獨逸学協会学校(現在の独協学園)の設⽴と運営の中核として活躍しました。また、貴族院議員を⻑く務め、1919(⼤正8)年の帝国議会において、⽇本憲政史上初となる「⼥性参政権付与」の演説を⾏うなど、「⼥⼦教育の充実」と「⼥性の社会的地位の向上」に⽣涯を捧げました。

⼭脇 房⼦

初代校⻑⼭脇房⼦先⽣は、⼤政奉還が⾏われた1867(慶応3)年に、松江藩⼠の⼩倉家の⻑⼥として⽣まれました。幼少時は何⼀つ不⾃由なく育てられましたが、武⼠階級の凋落により次第に暮らし向きが悪くなっていきました。それを嘆いたとき、⽗親が「これからの時代は、⼥でも学問さえあればいくらでも偉い⼈間になって活躍できる」と諭しました。
これに発奮した房⼦先⽣は猛勉強に励み、松江の⼥⼦師範学校を卒業した後、単⾝上京して英語を独学で⾝につけ、⼀流の⼥流学者と評価されるようになりました。
その後、⼭脇⽞先⽣と結婚。欧⽶⼈との交流を通して、⻄洋⼈⼥性の⾼い教養と品格のある⽴ち居振る舞いに接し、「⻄洋⼈⼥性に負けない⾼い教養とマナーを⾝につけた⽇本⼥性の育成」を⽬標として實脩⼥学校の初代校⻑を務めました。また、下⽥歌⼦⽒・鳩⼭春⼦⽒らと⼤⽇本婦⼈教育会を結成するなど、⼥性の地位向上にも⼤きな功績を残しました。

校章

⼭脇房⼦は富⼠⼭の尊さを次の3点にあるとし、⾃分の⼼の理想とするよう説きました。

『秀峰三姿』


いつどこから⾒ても変わらぬ姿



清らかで穢れなき⼼



感情を抑える克⼰⼼とおだやかで平和な姿


校歌

いついずくより仰ぎても 動かぬ富⼠の⾼嶺こそ
まことの⼈のすがたよと ⼼にきざむわが庭の
しるしにはじずもろともに つとめ励みて世に⽴たん

●再⽣ボタンを押すと校歌が聴けます。