2学期終業式を行いました
学園便り
12月22日(月)、2学期終業式を行いました。
今年1年を振り返る、意義深い時間となりました。
今回は、高校終業式における学校長の式辞をご紹介します。
おはようございます。
9月1日の2学期の始業式は、記録づくめの猛暑がまだ続いている中、行われました。
この日、全校生徒に向けて山脇祭実行委員長・体育祭実行委員長が話をしました。ことばに込められた強い思いや願いを感じ、2学期の素晴らしいスタートを感じるとともに、それらメッセージを共有した生徒たちでつくられる行事の成功を、半ば確信したことを覚えています。
また高3生には、「人は人、我は我」のことばを送りました。一人ひとりが自分の抱く志を見据えて、それぞれのやり方でその実現に向かって、全力で歩み続けて欲しい、という思いを伝えたかったのです。
あれから110日余り。いまみなさんは2学期のどのようなできごとや情景が脳裏に巡っていますか。それぞれに刻まれている記憶は異なるでしょう。自分が頑張ったシーン、みんなで頑張ったシーン。その中にいるあなたはどんな表情でしたか。
先生たちが印象に残っているのは、あなた方が真剣に打ち込んでいた表情です。勇気を出してチャレンジした人、自分を試すステージに上がった人、束ねる責任を背負い最後までまっとうした人、裏方として全力で支えようとしていた人、自分のやるべきことに粛々と向き合っていた人…。
それらの姿を見ながら、あなた方の中に良質の“点”が確実に打ち込まれているのを感じていました。
「Connecting the dots」スティーブ・ジョブズのことばです。「将来を予め見据えて、点と点をつなぎ合わせることなどできない。できるのは、後からつなぎ合わせることだけ。だから我々は今やっていることが、いずれ人生のどこかでつながって実を結ぶだろうと信じて取り組むしかない。」
2学期に真剣に打ち込んだ点は、今日のあなたの足元に“線”となってつながっています。それはあなたがまた次に打つ点とつながり、半年先、1年先のあなたの足元に伸びていきます。
さて2025年も国内外に様々なニュースがありました。印象的だった出来事の中から、今日は「女性初の首相の誕生」についてみなさんと考えたいと思います。
10月、第104代内閣総理大臣に高市早苗氏が就任しました。このニュースで見出しとなったのは「破られたガラスの天井」「期待される、ジェンダー平等進展」といった文字でした。「ガラスの天井」とは、努力し実力をつけ、あと一歩で届くはずなのに見えない壁が行く手を阻む、長く女性が社会で経験してきた現実を表す言葉です。初の女性首相の誕生はついにそれを打ち破ったと評されました。
また高1のみなさんは、法政大学総長のダイアナ・コー先生にいただいた昨年の講義での「リンゴの木から実をとるための踏み台」の話を覚えているかと思います。「実をとるために同じ高さの踏み台を用意すれば公平というわけではない、そもそもの各人の身長を考慮しなければ実をとれない人が出てくる。公平とは、皆が等しく届く高さの台を用意することだ。女性は踏み台さえない状態が長く続いてきたために、日本のジェンダーギャップ指数の低さ(2025年は148か国中118位)を招いてきたのだ」という趣旨のお話でした。
みなさんは日常の中で、ジェンダーとしての不公平を感じたことはそれほど多くないかもしれません。でも例えば国会中継の映像を見ていると、席に座っているのはほとんどが男性。有識者の会議とか企業トップの会談、会見などでも、ほぼ同様の光景です。実は私も全国の校長会や大学での会議などに出席した際に、女性の数の少なさ、男女比率の偏りを目の当たりにしてきました。このような光景は社会の現実を映し出していますし、これを解決するためには考えなければならない様々な課題があります。そのような中で、もっと女性が学問の世界や政治や意思決定の場で活躍できる世の中を願い、女性首相の誕生に強い期待や思いを寄せる声が多くなるのは頷けることです。
一方で、様々な記事などで高市氏を「女性代表」として期待する論調に、私は少々違和感も覚えていました。そんなとき、たまたま高校2年生の保健体育の考査の問題から、非常に共感する意見を目にしました。毎日新聞「時代の風」に、ノンフィクション作家の河合香織氏が寄せた記事です。
「“女性初”という出来事はその人を一つの象徴へと押し縮めてしまう力もあることを懸念する。政治の世界に限らず、女性であるだけで“女性の代表”“代弁者”として過剰な期待を背負わされ“象徴”“個人”の間で引き裂かれ葛藤する場面も少なくない。(中略)高市首相が女性であることは一つの要素でしかない。奈良で育ち、米連邦議会で働き、家族の介護や自身の病気に向き合い、保守的な思想と伝統的な家族観を持つ。その人の中には複数の立場と文脈が折り重なっている。その“まだらさ”こそが、政治に必要な多様性ではないか。そして代弁を願う私たちの声だって、同じ女性でも考え方はさまざまであり、幅広い。属性によってひとくくりにするのは、その対象の軽視にもつながりかねない。」
私も常々「男性か女性かではない、その“人”が問われるべきだ」「その人が、どれだけ信念を持ち理想を掲げて、その実現に向けて主体的に働いて働いていこうとするかどうかだ」と考えています。また、どんなリーダーも完璧であるはずがない。弱みもある。一人では何もできない。だからこそ、その信念や理想にどれだけの人が共感し協働し力を発揮するか、支えようとする人に恵まれているかどうかにかかっている、とも思います。高市首相の今後の評価や命運も、例外ではないでしょう。
毎日のように公の場に登場し、きりりと発言される高市氏の姿を見て、最近こんな感情を自覚するようになりました。「何かを選択するうえで、どれほどの葛藤や悩みや苦しみがあるのだろう」「眠れない日も、語れないこともきっとあるだろう」「真意が伝わらず揶揄される悔しさもあるだろう」「それでも、どんなときも笑顔でいようと決めたのだろう」
このような思いは、これまであまり意識してこなかった「同性としての共感」なのかもしれません。でも高市氏の姿を目にして勇気づけられたり、「自分だったらどうするだろう」と考えたりする女性たちが増えることによって、我が国のジェンダーへの固定観念や価値観を変容させる一歩になるのかもしれない、と考えています。
先ほど紹介した河合香織氏の意見は、このようにまとめられています。
「自分の弱さを認め、支え合うこと。女性が男らしく振舞う必要も、強くなる必要もない。時に強く、時に弱く、その両面を抱えつつ、誰もがその人らしく生きられることが理想だ。性別や身体の状態、様々な属性で不利益を被ることのない社会のための政治を願う」
そして私からは、みなさんへこんなメッセージを伝えたいと思います。
「なりたい自分に向かい、志をかなえたいなら、踏み台を持ってきてもらうのを待っていたら時間はどんどん過ぎてしまう。自分に合う踏み台をあなたが探しに行けばいい。もし自分に合うのが見つけられなければ自分でつくればいい」自分のなかにあるギャップに気づき、自分の力で実を取ろうと決意し、精いっぱい手を伸ばそうとする人こそが、何かを変えていく人なのです。
最後にこの1年、学園の生徒会活動、行事、部活動をしっかりと率いてくれた高2のみなさんに、心から「おつかれさま」と申し上げます。すべての運営に、あなた方らしい心配りや温かさがあり、つくりあげてくれた時間はどれも、後輩たちの記憶に残るものになったと思います。いつも笑顔を見せてくれましたが、その裏にはさまざまなご苦労があったことも知っています。生徒会規約の変更という大きな進化も、みなさんの利他の心と実行力がなければできないことでした。
高3生の先輩たちから受け取り、あなた方がそこに重ねたものを、今度は後輩たちにGIFTとして置いていってください。高1生とは先日、話をさせてもらう機会をいただきました。その時の表情からは、もう「次は私たちなのだ」「しっかりと引継いでいこう」とするマインドが感じられました。
それではみなさん、どうぞ良いお年を。今日はこの2学期、そして2025年を仲間や先生たちと振り返り、成長した自分を感じられる一日としてください。
あなたを見守り支えてくださった周りの方々へ感謝を伝えることも、どうぞ忘れずに。
式の後、中学生は各教室でホームルームを行い、担任から通知表が手渡されました。
教員からの一言に笑顔がこぼれる場面や、真剣な表情でメッセージに耳を傾ける姿が見られました。
高校生は激励会を行いました。部活動・同好会の後輩からの熱い応援動画上映後、高校生徒会役員による応援団からも熱いメッセージが送られました。
ホームルームおよび激励会終了後は、全校で大掃除を行いました。
生徒たちは協力しながら、教室や廊下の隅々まで丁寧に清掃し、普段はなかなか手の届かない場所にも目を向けて取り組んでいました。ごみ捨て後、すがすがしい表情で校庭を駆けていく姿も見られました。
今年も、多くの学びと経験に満ちた1年となりました。
育まれた学びは、校庭の椿のつぼみのように、次の季節に花開く時を静かに待っています。
新しい年も、心穏やかに、そして希望をもって迎えられることを願っています。