後期始業式を迎えました

2017年10月3日

 10月2日(月)生徒たちは「志の門」(武家屋敷門)をくぐり、新たな気持ちで後期始業式を迎えました。

2017後期始業式

 

後期始業式

【校長先生のお話】
 今日、多くの皆さんは武家屋敷門を通って登校してきたことと思います。重要文化財が学内にある学校など、改めて考えることもないので、当たり前のように感じているかもしれませんが、ぜひ誇りに思ってください。

 重要文化財になっている武家屋敷門は日本に3つあります。東大の赤門と、国立博物館の敷地内にある黒門と、この門です。
 この門は、幕末に一度焼けて、再建したのは本多美濃守忠民という人です。江戸時代、この屋敷の住人は次々と変わっています。それがどこからわかるかと言いと、古地図からです。古地図にはその時々に住んでいた人の名前が書いてあるのです。その年号と、江戸幕府の役職を付き合わせると、その多くが老中を務めていました。つまり、この屋敷は老中の役宅と言うわけです。
 この門を「志の門」と名づけていることを知っていると思います。改めて、志とは何かについて考えてみましょう。

 生涯、あるいは生涯の中の一時期、その期間を通じて達成する目標を、事前に意志決定している場合に、その目標を「志」と言う言葉であらわします。その目標の達成のためには、自分のすべてをかけて努力すると決めることが、「志を立てる」という言葉の意味です。
 その目標は何でもよいわけではなく、志に求められるのは、自律性という側面と社会性という側面があります。例えば、自分の娯楽や趣味のために、より多くの金銭的収入を獲得する、などというのは社会性という面で、志とは呼ばないということになります。また「志を立てる」ということは、自分が何のために人生を生きるかを、事前に意思決定することでもあります。自分は、その目標達成を通じて何を社会に還元するのか・どんな社会貢献をするのか。何のために働くのか。どんな仕事をするのか、です。
 志を立てることは、目標を実現するために、常に学び続けることによって、生きがいや精神的な充足感を得ることにつながります。志のおかげで、困難な状況も乗り切れるし、今、自分が何をなすべきかがわかります。志を持たない場合には、忙しさにかまけて、何のために行動しているのかという目的感を失って、単なる流れ作業のような人生となってしまうでしょう。

 目標達成に向けて、現実的な計画を考えることで、「好き」や「夢」や「あこがれ」は「志」に昇華します。例えば、医師になりたい、という夢は、そのままでは志にはなりません。医師になって何をすることで社会に何を還元するのかという社会性まで追求することが必要です。医師になることを夢見ても、それは現実的な計画ではないのです。医学部に合格し国家試験をクリアするためには、どんな学力・適性が必要で、自分は中学高校でどんな学習をどれだけがんばればいいのかを知って、全力で取り組む計画を実践することで、志にまで高められるのです。
 自分の今の「好き」は、「志」にまで高められるかどうかを自問自答しなくてはなりません。「好き」がなければそれを探す必要があります。さらに「好き」ならば努力は出来るかもしれないが、目標達成に向けては、努力だけでなく、適性も必要であるし、現実的な計画をたてられるだけの情報を集めなければなりません。
 大きな夢があるならば現実的な計画を考え、何をしたらよいかわからないのならば、一年ごとの小さな志からはじめましょう。小さな志でも、志を立てることで、より実りの多い人生を歩む可能性が高まるのです。
 だから志を持ちましょう。

 人生の目標を考える手助けとして、私たちは、次のようなことを考えています。
 山脇が、アメリカのボストンにあるLasell Collegeと以前から交流があることは知っていると思います。そのラッセルカレッジに、山脇からの推薦で入学することができないかと、今ちょうどその交渉を行っているところです。アメリカの大学に入学するには、一般的に、英語力、エッセイ、面接、財政的基盤、あるいはSATという英語で受ける学力試験などが必要です。そのうちのいくつかを2校の交流で省略しようというのです。
 まだ決まっていない、途中経過でしかない事柄を話すのは異例のことと認識していますが、皆さんの前でお話する機会があまりないので、ここでお話しています。
高校を卒業して直接アメリカの大学に進学する道は、最近確かに拡大してきています。そうした志を持つ人は、先ほど言ったように情報を集めなければなりません。
もう一度言うと、目標を立て、適正を判断し、計画を実行するための情報を集め、そして学力を身につけて「志」を現実のものにしてください。

 

平成29年10月2日
山脇学園中学校・高等学校 校長 山﨑 元男